27軒目。
阿佐ヶ谷で酒好き、居酒屋好きと自認している人でも、ここを知っている人は少ないと思うぞ。太くはない道沿いで目立たない場所にあるし、なにしろ駅からはかなりあるから。
阿佐ヶ谷駅を北口に出て、中杉通りをずっと早稲田通りに向かって歩く。あと少しで早稲田通りというあたり、右に「ニュートンの林檎」というケーキ屋がある。その脇の道を右折。ずーっと200mくらい歩き、風呂屋も越えると右側に鉢植えの植物が生い茂った木造家屋が。そこが「たつや」。
看板に「うまい魚」と書いてあるから、店であることは分かると思うけど、生い茂った植物をウェルカムとみるか客を遠ざけるかみるか、感想は人それぞれだろうな。
しかし、ワタシはこのエントランス、好き。阿佐ヶ谷では、一番街のスナック「司」に似ていて、しっとりしている。
次の角は食品スーパーの丸正。もう少し行くと、道は早稲田通りにハスに合流する。そんな辺り。
「たつや」には、20年ほど前によく通ったもんだ。当時、つきだしは「牡蠣」、それに刺身が数種類あったのでいつも「コチ」を頼んだ。コチって知ってます?白身の。その身際のところ、皮をはいだあたりがピカピカして、噛むとコリコリで味がずっと続く。うまいんだな、これが。
で、コチ狂いになった。その頃、看板を出して、たつやは「うまい魚」と書いた。そうだ、ここは刺身で勝負する店なんです。でも、種類は多くないから、使いづらいかもしれん。それでも来る客は、ずっと来てる、そんな店。
しかし子どもができて、ワタシは足が遠のいた。カウンターだけの大人の店だから、幼児は辛い。自然と、松山通りの「珍竹林(ちんちくりん)」、現在の裏裏に行くようになった。あそこは小上がりがあって、ワタシが刺身でビールを飲んでいると息子はテーブルの下を這ったり、通路をジャンプしたり、かわいい女性客に甘えたりして、手間がかからなかったからね。
その点、「たつや」は大人の店である。カウンター7席ほど、それだけ。旦那は無口。といっても話しかけると言葉を選びながら応えてはくれる。ただ、いくら聞いても名前は教えてくれない。山が好きで、一緒に行くと何食ものスープをポリタンクに入れて担いできたりする。親切で正直で、まあ不器用なんですよ。よくいえば健さんみたいというか。
で、最近になって再訪しようとなった。息子が16になったこともあるけど、すぐ近所に仕事場を作ることになったのが大きい。
ガラガラ、と戸を開ける。
「いらっしゃい」、と白衣のたつや。あいかわらずシャイな感じ。
座ってビールを頼むと、なぜかいきなり夕張メロン出てきた。「何、これ?」「いや、あったから」、と素っ気ない。お客のお土産らしい。
息子が烏龍茶頼んだら、なんと2リットルのペットボトルが出てきた。「好きなだけ飲んで」。これもたつやらしいな。
カウンターの背中に掛かっている板も相変わらず。
「純米酒450七笑、雪椿、浦霞、加賀鳶
ビール630大
日本酒330
焼酎350
稲庭うどん600
はんぺん焼240
冷やしトマト360
ほや塩辛320
長芋千切り370
はまち刺し1330」
とある。本日の刺身ははまちだ。「お盆明けで、河岸が始まったばかりだけど、あまり魚の種類がなかったんだ」とのこと。よし、二人前を注文してみよう。
テレビがついているが、静かだ。男のみだと、漫画の「深夜食堂」て感じだけど、当夜は女性のひとり客が、ビールを飲みつつ山に登った話をしている。山仲間みたいね。
つきだしの代わりに山芋千切りが出てきた。むむー。ふつうの二三倍の量は入っている。
白馬の話が続く。顔は横並びなんで拝めないが、声はいい女性だな。たつやは不器用なんで、包丁を止めては聞き入ったりして、またうろこをザシザシはがしたりする。みると60cmはある、太ったはまちだ。女性はずっと話かけてる。
「はい、おまち」。ううーん。厚さ1.5cm、縦5cm、横8cmはあろうか。巨大なる刺身である。そのちっちゃな弁当箱みたいなのがずらり。右の写真は二人前だが、迫力あるぞ。
思い出した。一人で行ったら刺身は一人前でいい。できれば数人で行くのがいい。
ほやの塩辛は買ってくるやつらしいが、これはうまい。
カップル、色黒でベンダントをしたいい男とか、次々に入ってくる。結構流行ってるのね。
焼はんぺんが来た。のりは10cm四方はある。こうばしい。
「そろそろお勘定にして」。と伝えたが、女性が話かけ続けてる。そろばんをぱちぱちはじいて、妙に安いので正すと、はんぺんを付け忘れてる。やっぱりたつやだね。
20年の時間が飛んでいった。
<後日談>
夜遅く、編集者のアラサークロちゃんと会うので、たつやに誘った。
本日は、イカ細造り。男の拳よりおおきい。自家製の出汁にいっぱいネギと生姜が入っている。こりこりして、これはうまい。いくらでも食べ飽きないな。クロちゃんも「美味しい、美味しい」と食べ続ける。
どうやら週に何回か河岸に行っては、値段の見頃なのを買ってくるらしい。だから何があるかは分からない。電話をすれば教えてくれる。
コチはなかなかない。
<もう一回、後日談>
なのでもう一度、覗いてみる。やはりコチはない。でも、ヒラメがあるという。これも同額で1330円也。
出てきて少々、のけぞる。巨大なのが30枚はくるくる撒いてある。これをピリ辛ポン酢でいただく。至福のひとときとはまさにこれ。
「旨い魚」たつやにあり、なのだ。
(センセイ)
今となっては信じられないことだが、もう20年以上も前に一度だけ、センセイと友人とたつやさんとで黒姫山に登ったことがある。
まだ、山ガールなんていうおしゃれな言い方はなかったけれど、山好きのたつやさんに誘われて「これから山登りだ!」と、私は石井スポーツで大枚はたいて、ファッショナブルな登山靴を買ったものの、自然大好き!という性分でないせいか、のめり込むこともなくそれ以来一度も足を通していない。
その後、私は出産、子育てでたつやに出向くことはなかった。
この度訪れた久しぶりのたつやは、タイムスリップしたかのようで私も子供のいない結婚したての頃と錯覚しそう。
まず、入り口に月島や根津あたりの下町の庭先みたいに鉢物が所狭しと並べられている。昔からあった野牡丹も紫の花を咲かせている。
店内の山小屋をおもわせる木目調の壁面もそこに飾られた木彫の魚や天狗、北斎の怒濤の波やなまはげの描かれたのれん、縄で編んだ椅子や木のカウンターも、傍の本棚にはハイキングや日本の百名山などの山関係の本と漫画の美味しんぼがあるのも 昔のままだ。
変わっているのは壁にかけられた刺身の値札の値段が少し値上がりしているのとメニューが少なくなっていることだ。
たつやさんはといえば、秋田弁混じりの話し方や白衣姿も変わらないが、髪が少し減って白髪が増えたことと、首がちょっと細くなっているのに年月を感じた。
「もう、ここは30年位になるの?」と聞くと「よく覚えてないんだけど、だいたいそのくらいじゃないかと」とのたつやさんらしいお答え。
まあ、一言で30年と言うけれど店を続けることの大変さを実感している私は頭が下がる。
20年程前のある時期にここで色々な刺身を食べたけれど、中でもどれだけ、「こち」のお刺身を食べたことか!「こち」という魚もそして、この刺身の縁側のコリコリとした食感や身のねっとりした甘みのある美味しさもここで教えてもらった。
残念ながら、今日は「こち」が入荷していない。
それではと、天然のはまちとイカ刺を注文。
量がたっぷりなので、とても一人で食べきれない。一人で一皿という量なので、種類を食べたかったら何人かで行くのがオススメ。
はまちはうっすら油がのり、身がむっちりして甘い。連れのR子ちゃんはイカ刺しをだしじょうゆにつけながら「私、イカ大好きなんですが、こんなおいしいイカは初めて!」と一人占め。
ここには、焼き魚や煮魚と言った魚の食べ方はない、生の魚=刺身しかないという潔さなのだ。
魚以外は、昔から好きだった醤油味がしみこんだはんぺんに海苔が巻きつけてあるはんぺん焼や秋田ゆかりの稲庭うどんも健在だ。本当は、私が好きだった「焼きおにぎり」や金山寺味噌がたっぷりかかった「もろきゅう」も復活してもらいたいな。
「今度、こちが入ったら電話しますよ」と約束し、引き戸を開けて店を出た。
ここで知り合って、一緒に箱根の温泉に行った私と同じ年のSさんも乳がんで亡くなってしまった。彼女の「おやすみなさい」の声が夜更けの裏通りから聞こえた気がした。
(50代カフェ経営女性)
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突然すみません。”たつや”さんは今、休業なされているのでしょうか?情報お持ちででしたら教えてください。失礼な質問ですみません。25年前よく通っていて、今度上京するのでお伺いしようとおもっていたのですが、電話は”現在使われていません”のアナウンス。
気になってしょうがありません。すみませんがご存知でしたら教えてくださいませ。