第13カ所、本日三軒目。とっぷり夜も更け、阿佐谷ダークサイドをさまよいたくなる時間帯。こうなれば、「ジャズの街阿佐谷」なのにジャズファンの多くが知らず、それでいて都下でも数少ない1970年代までの古き良き「ジャズ喫茶」の雰囲気を残すここを覗きたくなる。
「Stardust」。阿佐谷一、ダークなジャズ屋だ。
阿佐谷駅北口ロータリーをヨーカドー方面に見て、左奥に路地がある。そこに入ると郵便局が右手、左手には昼間流行っている八百屋がある。その数軒先、かつて喫茶店「プチ」があったあたりの向かい。扉があるだけで、営業中は開けっ放し。下りの階段が見える。ハヤトをうながしえっちら下る。
「Happy New Year!」と私。ゴールデン・ウィークというのに、今年初なのだ。
「あらぁ~、もう片付け終わってたのよ」と益田ママ。「でも、何か聴いて帰る?」
湿っぽい店内。カウンターに酒のボトルと珈琲メーカーが並べてあり、グラスに布巾がかかっている。後ろには卓が二つ。7~8人は座れる。壁にはビリー・ホリデイやデューク・エリントン等無数の写真が額に入れられ、掛かっている。レコードはLPが数千枚はあるかな?
「コーヒー飲む?」ママは珈琲と煙草のヘビー・ユーザーだ。
通常の時間は、まあ普通のジャズを大音量でかけている。それだけだと一般的なジャズ飲み屋なのだけど、夜も更けると音楽の種類が変わり、ママも毒舌に変身。こうなると、大概のうるさい客も大人しくならざるをえない。
私はいつも深夜はマイルスの「ジャック・ジョンソン」とか「アガルタ」「パンゲア」あたりを大音量でお願いするんだが、この日はママからお勧め。「浅川マキの紀伊国屋ライブ、どう?もうすぐマキさんの一周忌だわねぇ」。
というわけで、浅川マキ、初期のライブ。LPをプレーヤーに載せると、パチパチという針の音がする。懐かしい、低音の声。
この店は、「阿佐谷ジャズストリート」にもあまり関わってこなかった。「だって、趣旨がよくわからないのよ。『ジャズで町興し?』そんなはずないじゃない。ジャズやれば病気になるんだから、儲かったりしないわよ」
なるほど、ママの好きなコルトレーンもビリー・ホリデイも早死にだ。
「だいたいね、人間て、からだが悪い方がいいんですよ。心がピュアになるしね」。ママは大病持ちで、現在も年に数度入院している。「この世は危険がいっぱいなんだから、店も危険でなくちゃ。でもみんな獣でなくなっちゃったわね」。
1970年代のジャズ屋といえば、西荻のAの店あたりでも毎晩のようにハプニングが起きていて、ワクワクしたものだ。サックスの阿部薫がピアノの弦を切ったとかで主人が電話したら、演奏から帰っていた阿部が戻ってきてもう一曲演奏し、今度はペダルを折ったなんてことがあった。ジャズのそんなヤバい感じが、まだこの店には漂っている。
月に何度か、ライブもやっている。夕方にここを稽古場にしている池田篤や、阿佐谷在住のベーシスト・稲葉国光が中心だ。
「ジプシーは文字を信じない、国を持たない。だから楽譜を残さないのよ」。ハヤトがジャンゴ・ラインハルトにつき喋ると、ママはそう言った。エリック・ドルフィーも辞世の句で、「終わってしまった音楽を聞こうとしても、音楽は空間に漂っていない。二度とつかまえることなど、できないのだ」と言っている。
太宰がこのカウンターに座っていても、似合うかも。実際、太宰が井伏鱒二とともに行った中華料理屋「ピノッチオ」は、阿佐谷駅北口のアーケードにあった。快晴亭あたりかしら?「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ。」と『ヴィヨンの妻』の「私=(妻)」は言ったが、そんな無頼がスターダストには似合う。
一期一会の音と出会いたいなら、深夜に階段を降りるべし。ジャズの病が待ってるぜ。
(センセイ)
益田順子ママは、2012年7月5日に永眠されました。私はこの店で聞く山下トリオの「クレイ」、浅川マキが本当に好きでした。安らかにお休み下さい。てか、あの世でもマイルスの「ジャック・ジョンソン」を大音量で聞いているかな?
阿佐ヶ谷巡りも13箇所目。
時に欧米では13と言う数字は忌み数として毛嫌いされているらしい。
13日の金曜日、アポロ13、建物に13階がないとか・・・
阿佐ヶ谷どうでしょうでも、13番目は何かが起きるのか?と思っていたが、巡ってる最中は何箇所目なのか知る由もないので、無問題。小学校の頃は出席番号13番だったので無問題。
さてさて、本日ラストとなる3箇所目。
時間もいい感じに遅くなってきたし、占いの結果も出たことだし、次は何処へ巡ろうかとセンセイと相談したところ、
「ここは行っておくべき」
的なニュアンスがあったので、ついに行く事になりました。
そこは、阿佐ヶ谷ジャズストリートが開催されている土地にふさわしいとも思えるジャズ喫茶「Star Dust」。
ビレッジバンガードの通りを進み、数件先に地下に行く階段が怪しい光と共にぽっかりと空いている。
「ジャズ喫茶とはこういう事」とも言わんばかりの雰囲気。
ジャズ喫茶は聞いた事はあるが、行った事も見た事も無いけれど、想像していたジャズ喫茶とかなりぴったり被る。
音漏れ防止用のゴム製の暖簾?をくぐって中に入ると薄暗い店内は既に音楽は流れておらず、本日の営業は終了してしまった雰囲気。あらら、今日は無理か・・・・。
しかしさすがのセンセイとママの間柄。
「何か聴いて行く?」
やだ、なにそのやりとり、かっこいい。
そこにしびれる憧れるぅ。っとジョジョな感じ。
店内は薄暗くて広め。テーブル席が2つにカウンター。「コーヒー飲む?」の一言に「はい、いただきます」と。冷めたコーヒーは、程よく酔いをさましてくれる。
こんな雰囲気、好き。
センセイのお気に入りの一曲を、夜中と思えない程の音量で流してくれる。自分の家でも、他のお店でもそうそうこの音は出せないだろう。実は歌手自体は馴染みは無いのだが、聴いているだけで何か心にぐっと響く。人の歌声というのはこうも響くのかと。
街、時、音、酒、人。
全てがそうさせてくれているようだ。
ちなみにお酒を頼むと、スペシャルサービスで出てくる。
ママはもちろんの事ながら、センセイもジャズには相当詳しい。というか深い。俺はJazzが好きだ。だけどこの二人を前にするとこれ迄の自分がひけらかしてきた事が恥ずかしくなる。しかし、自分の大好きなギタリストや、ピアニストなどを語ってみる。特にジャンゴ・ラインハルトについて。
そうすると、ママが曲をかけてくれ、さらにジャンゴのプレミア感満載のLPセットというかボックスを見せてくれた。ちなみにジャンゴが好きになった理由は、過去に友人の部屋に遊びに行った時、たまたま見せてくれたショーンペンが主演の「ギター弾きの恋」からだ。
ママはこの映画がとてもお気に入りだそうで、ジャンゴの繋がりから話が盛り上がるとジプシーの話へ。流浪の民である彼らは、歌詞を残さない。楽譜として残らない。その時代、空気、湿度、場所、人、二度と同じ音はない。
過去も、今も、未来も、出来事は一瞬で、似たような事はあっても同じ事はない。そう考えると、全ての一瞬が貴重になる。
グラス片手に、タバコの煙、珍しい組み合わせの2人、曲を選ぶママ、聴こえるジャズ。
全てが、二度と起こりえない、唯一無二の一瞬。
なんてね。
結構1人でなおかつジャズに興味が無いと入りづらい事は確か。しかし、少しでもジャズや音楽が好きなら音を楽しめるなら、本当に素晴しい。非常に勝手な見解だけれど、とても阿佐ヶ谷に似合う。
この階段を下りてみよう。音が新しい世界を切り開いてくれるかもね。
ハヤト
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マス(益田順子さん)ちゃんは、約40年前熊本でジャズ喫茶ジャズランドを経営しておられ、高校時代はドップリと浸からせていただきました。いろいろ思い出がありすぎてとても書ききれません。マスちゃんありがとうございました。合掌!
先日、横浜白楽にある、BitchesBrewというジャズ屋さんで見せてもらったジャズ批評の訃報記事で益田さんのご逝去を知りました。
15年前くらいに、益田さんは新宿で同名のジャズ屋さんをされていましたが、そこによく通わせていただきました。
その当時もあまり体調はよくなかったはずで、入院を機に店をたたまれたのではなかったでしょうか。
しばらく足が遠のき、久しぶりに新宿に寄った折にお店に行ったのですが、閉まっていて、益田さん、どうされているのだろうと思っていました。
その後、ネットが普及し、インターネットで検索したら、阿佐ヶ谷でまたお店をされているのを知り、いつか行きたいと思っていたのですが、それも叶わぬものとなってしまい、痛惜の念で一杯です。
新宿では本当にお世話になりました。あのときの益田さんの一言一言が私にいろんな勇気(生きる上での、仕事をする上での、等々)を与えてくれました。
本当にありがとうございました!
いまはただ、安らかにお眠りください。
益田さんが好きだった、Elmo HopeのImaginationを聴きながら
合掌
PS:益田さんへの最後のコメントをする場を与えていただいた、センセイ様、ハヤト様、この場をお借りして御礼申し上げます。