入りにくい店を求めて47軒目。
本日は珍しく家人と夜の巷を徘徊。
というわけで、阿佐ヶ谷ではすでに稀少生物種なみの生存率となりつつあるスナックの扉を叩いてみることにした。
一番街はラブホの角を曲がり、バルトの角を左折。昔青線だったという一角に、新しい店が出来ている。「ヨシロン」。
「ヨシリン」だったらゴーマンかまされそうだし、入らなかったかな。
ギリリとドアを開けると、カラオケが鳴っていた。先客はお一人。カウンター内で、女性がこちらを向いた。「あら、いらっしゃいませ」。
くの字のカウンターに10席ほど。壁には絵画が飾ってあり、こざっぱりしている。
家人はしばしヨシロンを見つめた後、言った。「あなた、どこかで会ったことあるでしょ?」
「ええ、『司』にいました」。
ああ、そうだ。
ちょうどバルトの向かいにあった、エントランスの美しい『司』が閉店して何年か経つ。ママは亡くなったと風の噂で聞いた。そのチーママだった女性だ。
いろいろ昔話をしてみる。
司には5年いた頃からそろそろ独立しようかなと思っていたが、そうこうするうちにママが亡くなってしまった。どうするかと考え、数軒先の和風スナック『澤』の物件が空いているのに気づいた。お客を引き継ぐならば『司』の名前を頂戴する手もあったかもしれないが、やはり自分の店となればヨシロンでやりたくなった、云々。
ちなみに「ヨシロン」は幼少時からのあだ名。本名の子ども発音だ。でも、ワタシも語呂がなかなかいいと思う。だいたい、何の店かも分からないじゃん。
そう言えば『司』のチーママ時代に、キューティーハニーのショーをやってなかったっけ?
「いや、店が変わったから封印してます」と答えるも、ヨシロンはいい人なので、サービスして歌ってくれた。断り切れない性格らしい。
たっぷり、振りをつけて歌ってくれた。クルクルと表情が変わり、かわいい。
そのまま人生語りに。ここからがスナックの本領だ。
ヨシロンは幼少時から、母上がステージママだったという。子供に夢を託したというわけ。当人も楽してモデルになりたかったからその気にはなったが、キャンギャルの仕事とかはとても甘いもんじゃなかった。
大学を卒業したばっかりでどうしようかと思っていたら、たまたま友達に連れられて司に遊びに行ったら勤めることになり、友達はやめてもそのまま居続けることになってしまった・・。
「最終的にはこれだな、と」。
店内には、大滝詠一が流れている。このあたりも若いママなんだろうな、と感じる。
「変態、じゃなくて、変キャラだと言われます」とヨシロンは言った。なるほど、凄く気をつかってくれるんだが、使う方向が少し不思議かも。客としては、つい心配になって顔を見に来たくなるタイプかな。
「阿佐ヶ谷飲み屋さん祭とかに誘われるんですけど、断りました。一日だけ来られても、ウチには得はないし」。
へーっ、今時の若い店主たちは広報のためにも利用しているあの飲み屋デーに不参加なんだ。これはまさに入りにくい。
「ウチはスナックだからチャージがつくし、空気が合わないと常連さんには叱られますから」。
さすが、スナック。決して拒否していない、というか、ウェルカム。でもドアが半開き、中から手招きしている感じなんだ。ひたすらオープンないまどきのバーなどとは真逆だが、これもあたたかさである。
帰りにヨシロンは手を振って見送ってくれた。
新世代のスナックである。
(センセイ)
本日は、26回目の結婚記念日!私たちは昭和が終わろうとしていたバブル景気の時につきあい始め、平成になってすぐに結婚した。アニバーサリー好きな私にイヤイヤ先生もつきあって、家族の誕生日と結婚記念日は何処かで食事をすることにしている。
今年は、地元阿佐谷のバードランドで息子も交え食事をして、2件目を二人でどこにしようかとウロウロしながら探していた。
その店は、窓もなく、外からは全く中の様子はわからないが、ドアのノブのところに「思いっきりドアノブを下げてください」と書かれた貼り紙に親しみがわき、そのことば通りドアノブを思いっきり押し下げて戸を開けた。この空気には懐かしさがこみ上げてきた。
今から30数年ほど前、ワタクシも当時は若いというだけでちやほやされてオジ様たちに可愛がられたので、お酒の席には色々連れて行っていただいた。綺麗なお姉様のいる銀座のクラブから下町の居酒屋まで。その中にはスナックもあった。
スナックというとオールド(ウイスキーです)などをキープしてカウンターにママがいて、お話するというものだったがちょうどその頃にスナックに続々とカラオケが導入され始めた。あれよあれよという間にどこに行ってもカラオケが当たり前になって誰か客が歌うと皆で拍手!になってしまった。
しばらくはそれでよかったが、私は話ができないのが苦痛になった。同じような思いの人たちがいたからだろうか、カラオケボックスなる個室空間ができた。そのうち私も何とか結婚してそういうカラオケスナックに足を向けることもなくなった。まさに昭和の最後頃の話。
そう、ヨシロンは、そんな私の若き日々を思い出させてくれた。
カウンターには客が一人、当時と違うのは客がスマホに向かっていることだ。
カウンターの中に佇むほっそりとした女性がママとのこと。本名がヨシミさんなので小さい頃から「ヨシロン」と言われてきたらしく知人にはわかりやすいのだろう。ママは、子供の頃にモデルになるのを夢見てホリプロで子役などもしていたらしい。モデルの夢は叶わなかったが、阿佐谷のカラオケスナックのママになった。一国一城の主だ!
スナックの飲み物と言ったらウイスキーの水割りが定番イメージだったが、今はハイボールの方がしっくりくるかと、注文して乾杯!
しばし、ママの身の上話を聞いているといつの間にか客は私たちだけ。久しぶりに、カラオケでもとセンセイが南沙織の「色づく街」をリクエストするが、ママは「南沙織って知らない」とのこと。今では、息子の篠山輝信の母親としての方が通じるようだ。
その後に黛ジュン、テレサテンと歌ったが、ピンと来ないようだ。ママは、この阿佐ヶ谷スナック界では最も若手らしい。じゃあ今度はママと水を向けると「久しぶりにキューティハニーを」と。私の知っている頃のカラオケスナックのママたちは演歌が中心でアニメソングを歌うということはなかったからここにも隔世の感があった。
昔を懐かしむほどに年を重ねたのだ。
いざお勘定となるとびっくりするほどの阿佐谷価格。さらにポン菓子のお土産付きだ(お土産のセレクトは昭和っぽい)。
昭和を味わいたい時にはオススメの店である。ドアノブを思いっきり下げて昭和に浸ってみてください。
今やどこにでもカラオケボックスはあるのだから、こう言ったカラオケスナックはなくなってもと思いきや、「人に聞いてもらって拍手してもらったり、評価して欲しい方たちがいるんですよ」とそんなお客様にも支えられているらしい。
(50代女性、カフェ経営)
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今年の9月2日に 開店5周年を迎えるとのこと。阿佐ヶ谷一番街に新しい息吹をかんじさせてくれるヨシロンは とても素敵なお店です。10年20年と頑張って下さい。