阿佐ヶ谷の入りにくい店を求めて63軒目。
どこにでもあるような、似た雰囲気の店がここ阿佐ヶ谷にも増殖していると感じる今日この頃。地域の「濃さ」がエキゾチックってことだとすれば、昭和の時代、ここ阿佐ヶ谷はずいぶんエキゾチックな場所でした。
この店、頻伽は、その頃の雰囲気を今に伝える。ワタシはこのところ頻繁にお訪ねしているが、たしか最初は大出版社にご勤務のK嬢(上の写真扉の方)に連れてきてもらったんだと思う。
元は「モンブラン」。元警察官であるママの店で、あとを継いだ人まで約60年やってた老舗だ。それがいったん別の名前になり、今回のさちママがモンブラン由来のビロードを強調して、リスペクト溢れる内装を再現した。1960年代、女のコが横に座ってくれるような、古きよき阿佐ヶ谷「一番街」のクラブってこんな感じだったんだろうな。
残念ながら「モンブラン」は写っていないが、1960年代の一番街はこんな感じ。松本酒店さんにお借りした写真を掲載します。この頃を訪ねてみたいなぁ。
川本三郎「燃えていた町」『雑踏の社会学』(1984、現ちくま文庫)は1970年ころの阿佐ヶ谷をこう描く。
「いま思い出してみるとあの頃の阿佐谷の飲み屋街はシュトルムーウントードランクのただなかにあった。小さくて狭いだけに新宿よりもずっと熱度は高かったように思う。
私も毎晩血が騒ぐというか家でひとりでじっとしているのが勿体ない気がして夜になるとくみみづく〉や〈多楽福〉に繰り出した。」
「〈ぽえむ〉というマンガ家の永島慎二の行きつけの喫茶店にはファンやマンガ家のタマゴがたむろしている。
ジャズ喫茶〈吐夢〉には平日の昼間から荻窪高校の造反高校生がむずかしい議論をしている。
大衆飲み屋〈多楽福〉では若かりし赤瀬川原平さんが画家仲間と鍋をつついている。
〈アランフェス〉というクラシックギターの曲ばかり流している喫茶店ではべ平連の仲間が反戦デモの作戦を練っている。
浦霞を飲ませるというので人気のあったくいろり〉をのぞくとテレビ局の連中が三里塚闘争の報道姿勢をめぐって議論している。
演劇青年がやっている〈みみづく〉という和風飲み屋では深夜叢書社という小さな出版社の斎藤慎爾さんが吉本隆明の自立の思想をめぐって熱弁をふるっている。
ジュークボックスにいつもローリングーストーンズの「テルーミー」が入れてあった〈イーグル〉というスナックには慶応全共闘のM君が後輩を従えて陣取っている。」
まあ、左翼思想への憧れなんてのはずいぶん色あせたけど、一番街の濃い文化は、今も持続している、とくにこんなエキゾチックなお皿を出すママが出現すると。
ちょっとエッチでハイカラな美女を一筆書きのようにした、小島功の皿「5人の魔女シリーズ」。名陶の皿よりも、何倍も阿佐ヶ谷ぽくて素敵。
日本では戦後に発酵食品や日本酒が大量生産され、一部では洗練もされたが、均質化して個性がなくなった。ま、「薄く」なったわけです。日本酒は水飴を添加したみたいなのばっかりになり、ワタシも若い頃は大っ嫌いだった。それが1990年代頃から本格的な醸造法に回帰する競争が始まり、温故知新どころかかつてない製法で、米づくり自作する醸造家まで登場して様々な発酵法を試しています。
発酵に対する理解はそれこそ地域文化。ここ「頻伽」はさちママがグルジア壺ワインに出会い、古代製法にこだわったバーです。人体に取り憑いている菌も加えて発酵させるっていうんだから、個性そのもの。そんな酒や食べ物がズラリと揃っている。迦陵頻伽(かりょうびんが)は上半身が人で、下半身が鳥という仏教における想像上の生物だそうだ。
ノルウェーの「スケクイーン」、キャラメルチーズ。ロンバルディアの洞窟熟成黴チーズ。「パルミット」はコスタリカの椰子の若木。これにスペインのロメスコソースがかかっている。こんな珍しいものが小島功り皿に載っかって出てきます。
ワタシはラムのアップルトンエステートをお湯割にしていただく。
大出版社のK嬢が持ってきたというアラブ風のLPはジョニ・ミッチェル。
最近、開店して人気の店主が夜な夜な現れて、ここのさちママと「かわ清」に繰り出したそうな。かわ清といえば、30年もののにんにく醤油漬けを自作したりしている、阿佐ヶ谷の至宝。そんな志が、若い女将たちにも継承されている。嬉しいな。
というわけで食べ物、飲み物の話ばかり続く。それだけだと色気がないので、わざわざ新宿から来て下さったカナコ嬢とツーショットで自撮り。聞くと、ワタシの旧友のオジサンが、フェイスブックでワタシと繋がっている人の中からカナコ嬢を見つけ出し、会ったこともないのに毎朝メッセージを送りつけてくるそうな。そんな年甲斐もないエロ親父は撃退してやれ、とツーショット写真をこの旧友に送ってみた。憮然としたメッセージがすぐに返ってきた。
そんなイタズラも楽しい一夜でありました。
(センセイ)
「こんな時間に阿佐ヶ谷でふらふらしてたりしないよね?」と、センセイから久しぶりのお誘い。新宿で飲んで帰る道すがら、一番街の頻伽を目指します。
頻伽に行くのは2回目で、前回はセンセイの奥様Sさんに連れてきていただきました。
「グルジアのおじさんがね、裸で葡萄をふんで作ったワインが置いてあるお店なの!」とSさんに聞いて飲んだワインは、発酵食特有の酸っぱさがありました。
一番街をしばらく歩くと、白く光る看板にちいさく「頻伽」の文字。入口のガラス扉が真っ赤なのが、おどろおどろしくて入りにくい。扉をあけると赤い天井、赤いビロードのソファ、赤い花柄の床、あっちもこっちもみんな赤い。
ほの暗い空間に佇むカウンターの左端に、センセイを発見。すでに飲んでいらっしゃいます。
店主のサチさんは明るい女性で、なんとこの日がお誕生日!会計を終えて店を出ようとしていた別のお客さんも今日が誕生日らしく、一緒にいた旦那さんは一番街のBarムチノチのマスターらしく、別れぎわにセンセイと談笑していて和やかな雰囲気。
カウンターに座ると、お通しが出てきました。チーズ風味のやわらかいチョコレート(チョコレート風味のチーズ?)、白いチーズ、たけのこのピクルスのようなもの。どれも個人的にすごく好みです。
それらを一つずつ食べていくうち、お皿に描かれた金髪色白美女の全貌があらわになっていくのでした。どこかで見たことのある絵だと思ったら、「河童の小島功だよ」とセンセイ。るんぱっぱの黄桜どん、ですね。センセイのお皿の絵は、たしか黒髪色白美女だったと思います。
1杯目はサチさんにお任せし、オクロおじさんの妹が作ったというワインを。大きなグラスに注がれたピンク色のワインは透明度が高く、しっかりした葡萄の風味が美味しい。かすかな渋みの正体は、葡萄の種や茎や弁まで一緒に醸すからだそう。
それをクヴェヴリという素焼きの壺に入れて土にまるごと埋め、何ヶ月か熟成させるとワインになる。土地の菌と蔵の菌と葡萄の野生酵母による壮大な共同作業。8000年前からつづく古代製法で、飲むと体が元気になるそうです。
ところで、グルジアって…?
サチさんがわざわざ地球儀を持ってきてくれました。黒海の右側。スターリンと大相撲の栃ノ心関の出身地。栃ノ心といえば筋肉質の体と胸毛ですが、実家はなんと葡萄農園。葡萄を毎日ふんで体が鍛えられたらしいです(ネット情報)。
2杯目。目の前に並ぶワインを眺めていると、日本語で書かれた「マカ酒」というラベルが気になってしょうがない。アンデス地方のマカで作った滋養強壮のお酒をクランベリージュースと割ってオリジナルサワーにしていただき、甘くてするする飲めました。さらに上をゆく黒ラベルのストロングマカ酒なるものもあり、こちらは男性におすすめとのこと。
途中でセンセイの相棒の編集者Kさんとお友達も来店し、プレゼントとともにサチさんをお祝い。そのままカウンターに4人横並び。
ディープな一番街のにぎやかな店内、時刻は午前1時をまわります。
3杯目は、グルジアのおじさんが作ったアンバーワインを。アンバーは琥珀色という意味だとKさんのお友達が教えてくれました。
BGMはアナログレコードで流れるグルジア民族音楽。エコーのかかった男性の歌声から大量のアルファー波が出ているのか、居心地がいいです。
これでもかというほどグルジア愛が溢れるお店でありながら、「私グルジアに行ったことないんですよ!」と笑うサチさん。
えっ、なにそれ…!!
数年前に「ざくろの色」と「ピロスマニ」という映画を見てグルジアに惚れこみ、今こうしてお店をやっているんだそうです。好きだから。ただそれだけで。サチさんを祝いにお客さんが次々と訪れる訳がなんだかわかる気がしました。
素敵なグルジアンナイトをごちそうさまでした!
(30代女性、自営業)