阿佐ヶ谷どうでしょう。

阿佐ヶ谷のディープな飲み屋~88箇所を巡ります。

FILE No.016

十六夜(いざよい)


センセイのコメント

ハヤトのコメント


 第16カ所目、ということで、「十六夜(いざよい)」へ。それにしても洒落た店名だなぁ。

 阿佐谷駅南ロータリーを線路に沿って右折してしばらく行った左にある飲み屋小路(いちょう小路)の細い路地、有名な「豚八戒」の隣。風情のある文字が、引き戸に上に鎮座している。

このロケーションだと古ぼけていれば入りやすいが、背筋がピンと張ったような入り口だけにちょっと度胸がいる。

 先遣隊ハヤトが引き戸を開けると、カウンターの中に女性、外に加藤嘉を美男にした感じの白い髭の初老の男性。感じカウンターはL字型、7席ほどか?小さい、小さい空間だ。

 「親子なの?」とママさん。いきなりそうくるか。「歳は離れてるから。顔は似てないけどねぇ」、と続く。「いや~、飲み友達なもんで」と我々。まあ、言われてみると怪しい年齢差ではあるよな。ママさんは、なんか女優みたいな風情がある。音羽信子というか。

 メニューを見ると、日本酒、焼酎とあって、ワインリストは別になっていて、かなりの数が掲載されてる。奥を見ると、グラスが20個近くも逆さにかかっている。

 カウンターには、紙が貼ってある。「タマコがなくなりましたかわいがっていただいてありがとうございます」。猫がいたんだろうか。

 日本酒を頼むと、東北泉があるという。カウンターから振り返ると小さな冷蔵庫があり、それからおじさんが一升瓶を取り出して一合をついでくれる。手慣れた動作だ。「あ、すいません。自分らでやりますよ」と言うと、「いいから」、と作業を続ける。ひょっとして、お店のひと?小さい店舗なんで、二人の経営というと不思議な気はするが。

 つきだしが出てくる。白い作家モノの皿に、しらすと梅干し。日本酒に合わせてくれたのかな?なかなかのセンスだ。つまむとしょっぱくて、東北泉に合うな、これは。ハヤトとさしつさされつな感じで飲み進む。
 
 「ここ、以前はどこでしたっけ?ラーメン屋じゃなかったですか」と聞いてみる。かつて狭くてカウンター内に階段のあるラーメン屋があったのだ。見た目は同じである。「ここは『麓』、ラーメン屋は三軒先で、いまは『モロッコ』よ」と答えが返ってきた。狭くて似た造りなんだな、この飲み屋小路の並びは。

 おじさんが、LP盤のレコードをかけてくれる。ラテンである。ロス・タバハラスか?「二階にはもっとたくさんあるんだけどね。空調がないんで夏は使えない部屋なんだけど」とおじさん。カウンターの外で飲んでるが、やっぱり店のひとみたいだ。

「去年始めたんだけど、その前は9年やってました」とママが言うので、「へ~、どこでやっておられたんですか」、と尋ねてみる。「ランボオなんですよ」。

 「ランボオ」!?それは阿佐谷のバーを代表する、伝説の店じゃないか。私も5~6回は行ったことがある。川端通り、キッチン・チャンピオンのビルで何十年もやっていた。私の記憶では、千円で結構飲めた。名店というよりも、阿佐谷最安値の店だ。マスターの背後に垂直でなく、斜面にボトルが並び、ぱちぱちいうレコードで倍賞千恵子の歌をかけたりしていた。「ボトルさえあれば、タダだったからね」とおじさん。それは安いというか、滅茶苦茶だな。

 ご主人が亡くなって誰かが継いで経営している、と聞いていた。その誰かが「十六夜」のママだっていうわけか。そのランボォのビルも取り壊しになり、現在は新しいビルになって、以前の店子は入っていない。継いでから取り壊しまで9年もやっていたということだが、私は行っていない。そのビルには「裏窓」とかもあったな。

 おじさんが「堀さん」と呼ぶ『ランボオ』の以前の主人が亡くなった時は、常連に記者がいたのか新聞の社会面に記事が出ていた。それによると、その主人は自分の身辺を語らない人だったが、亡くなって家族に連絡をとろうとしたら本当に天涯孤独な方と分かった、とかいう内容だった。

 記者や編集者、物書きが好きそうな店ではあった。おじさんが言う、「東京オリンピックの頃にあたしが学生で、その頃から『ランボオ』には通ってたんですよ。継ぎたいってひとは結構いたけど、いざ本当に経営するとなるとこの人しか継げなかったんです」。なるほど、いったんボトルを入れたらいつまでもタダで飲みに来る客が揃う店を継ぐのは、値上げしてもうるさそうだし、面倒に違いない。ということは、おじさんとママはその時以来のつきあいと言うことか。

 レコードはアストラッド・ジルベルトのボサノヴァに替わっている。続けて阿佐谷の昔の話を尋ねると、このおじさん、矢鱈に詳しい。

 「昭和40年代の1番街は、肩をぶつけずに歩くのも大変なくらいの賑わいでね。それも客の腕を女の子がひっぱる店やヌードスタジオがあった。やくざもうようよいて、刃傷沙汰も週に一度はあった。板前がやくざに呼び出されて、さらしを腹に巻いて包丁を忍ばせて行くなんてことがあった時代。まあ、ぼったくりが多かったねぇ」

私は深夜によくうなぎを食べに1番街の『うな奴』に行った。あそこも数年前に閉まった。「いい店だったねぇ。『うな奴』と『ランボー』がいちばん許容力があったね。夜の11時頃にまだうなぎ裂いてたし、おばちゃんものんびりしてた」。私は、鰻丼を1時に頼んだのに4時とかまで出てこず、その間におばちゃんが出してくれた漬け物がうまくてビールを飲み続けたりした。阿佐谷には『北小路』とか、風情のある店がいっぱいあったなー。

 『十六夜』で阿佐谷の昔話をしていたら、良い気分になってきた。音羽信子と加藤嘉だから、古い映画見ているようなというか。レコードも、さらに大瀧詠一に替わっている。お二人の時代の空気が残ってるというか、品の良い店なのだった。

阿佐ヶ谷どうでしょう第16カ所目。


行く店は、とても都合良く、なんと「十六夜(いざよい)」と言うお店。
ちなみに「いざよい」とキーボードで打って変換すると一発で十六夜と出てくる中々の不思議さでした。それにしても、とてもお洒落な名前のお店だな思う。


さて、ここは阿佐ヶ谷駅南口。駅を降りてすぐに右方向へ線路沿いの小道を入って行くと、過去にテレビでも取り上げられた事のある餃子屋さん「豚八戒」があります。(ここも絶品です。)


その「豚八戒」の隣、一目では作りの新しい民家?とも思えるが、柔らかく光る看板がお店として認識させる。


・・・中々格式が高い門構えで、小奇麗なたたずまいがいい風格を出している。ふむ、初見では行きにくい。が、ここは非常に興味をそそる。


若干の格式の高さに緊張感を覚えながら、引き戸をがらりとあけると、そこにはL字カウンターのみ7〜8席の小さく、しかし何となく無駄の無い空間が広がる。何となくゆっくりとした空気、外の喧噪がかすかに聞こえる程の静けさ。空間が小さくとも、これがとても心地よく感じる。


それが、お店に入った瞬間の第一印象。


カウンターには女将さんが、客席には白髪で長身のスラッとした初老の男性の方が、つまみと日本酒を嗜んでいる。使い方はあっているか分からないが、小粋な感じがする。


そんな男性を横目に着席。早速メニューを眺めると焼酎、ワイン、日本酒などかなりの数がおいてあり中々美味しそうな銘柄がラインナップされている。


ドリンクを選びつつ、女将さんとの会話も弾む。


「親子ですか?」


やはりこの質問は多い。
普通に考えればそれも分からんでもない。そしていつも何か面白い言葉を返せないかと考えるのだが、返せない。今後の課題だ。


会話のやり取りも進めつつ、焼酎の赤霧島を頼むが在庫切れなので、黒霧島に変更。センセイは東北泉を頼む。すると、隣いた初老の方が、おもむろに酒の準備をしだす。なんと、お店の人だった。小さい店内はコミュニケーションを素早く円滑にする効果があるのだろうか、当たり前のように席をずらし、センセイの後ろにある酒をとる。


そして、お酒にあわせてお通しをご用意してもらう。お通しは梅干しシラスと、ポテトサラダ。出てくる前に、日本酒に合うお通しは・・・焼酎は・・・などという会話が聞こえてきた。飲み物に合わせて出してくれるのが非常に気持ちがよくてうれしい。

センセイと乾杯して、つまみ合っていると色々とお店の方々と話が盛り上げる。

・阿佐ヶ谷の過去の話
・どこぞやの土地の話
・この店の成り立ち

などなどを話す。僕は阿佐ヶ谷の過去をしっかりと知らないが、このどうでしょうを通して過去を知って行くのは非常に興味深い。旅行でもそうだが、旅行先の歴史を知って行くのと、知らずに行くのとでは楽しさが大きく変わるように、自分が住んでいる町も歴史がたくさんあるのだ。可能であれば一度過去の阿佐ヶ谷に行ってみたいと思ってきた。


今では伝説と言われる程の店が並んでいた。過去。
30年後に伝説として残るような、人の記憶に強烈に結びつくようなお店がまた生まれて行くのか・・・。


酒、人、肴


人生に彩りを加える嗜みだ。
ここの十六夜、「いざ、酔い」。


その名の通り、どことなく粋な感じで酔える、とても良いお店でした。美味しいお酒、美味しい肴、しっぽりとした会話が楽しめる。デートとかよりは、友人同士でゆっくり楽しんだり、遠くから来た友人とゆっくり飲むのにはとてもよいかもしれません。


あ、最後に明太子がうまかったです。

ハヤト


Shop Information


店名:

電話:

住所: 杉並区阿佐谷南 3-37-5

Web:


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