阿佐ヶ谷の入りにくい店を訪ねて54軒目。
早朝7時から11時まで開店のArrowとは真逆の時間帯、深夜23時から早朝5時まで忽然と姿を現すラーメン店「コタンの笛」に行ってみた。
青梅街道沿い、荻窪陸橋を阿佐ヶ谷寄りに降り、しばらく行って左にある交番所の先(Ciqueの手前といった方がラーメンファンには分かりやすいか)。何年か前、真夜中の2時とかに立ち寄ったことがある。そのときは味噌ラーメンを食べたが、何組かのお客を送り一休みといった気配のタクシー運転手さんが数名、だべっていた。
しかしその後日中にその辺りを通ると、店が見当たらない。閉店したのかと思い、忘れていたのだが、気になって深夜にチャリで走ってみたら、なんと煌々と灯りが点いているではないか。そこでこういったことに関心を示しそうなIちゃんを誘い、出かけてみることにした。
22時に着いたら、まったく人の気配がない。それどころか看板も何も出ておらず、いったいこれで店として機能し開店しうるのかもおぼつかない風情である。しばらく近所のバーで待つことにした。
23時に再訪すると、今度は路上に看板が置かれており、提灯にも灯りがともっている。以前は看板が頭上の軒下にあったはずだが、落ちたのだろうか。
アルミサッシの戸をぎしぎしと引くと、カウンターのみで10席ほどはあるだろうか。結構広々としている。厨房も広く、いろいろ料理ができそうだ。中にはおばさんが一人、先客は野球帽をかぶった親父さんである。
「台風でね。看板が落ちそうで危ないから外しちゃったの」。ああ、そうか。それでもよく知ってるお客さんが来訪するわけね。
壁にはずらずらとメニューが書き並べてある。私がカレーラーメン、Iちゃんがもやしそばを注文。
壁にはいろいろ謎なものが掛けてある。群馬のサッカーチームのフラッグ。謎のリボン。厨房には大きな冷蔵庫2つ。外にもひとつある。冷房もなぜか3台ある。設置電話もあるが、埃をかぶっている。換気扇も3つ。店内ど真ん中、おばちゃんの頭上の換気扇は、ダクトで外につながれている。この1つだけでもよさそうな・・。
メンマを食べながらビールで乾杯していると、おばちゃんは中華鍋で麺を茹で、おたまで作業をしている。やがて注文の品が出てきた。
うーむ。スープの色はタンメンである。思わず「カレーですか?」と尋ねたら、「そうですよ」、とのお返事。タンメンにカレー粉をまぶした、といったところだろうか。Iちゃんもしげしげともやしそばを凝視している。
中野坂上には「コタン」という味噌ラーメン屋が存在した。そこと関係があるんですか、と聞いてみた。私が阿佐ヶ谷の「コタンの笛」に触れると、中野坂上の店が支店だろう、と言う人が少なくないのだ。
「あちらさんは荻窪に本部があるでしょ。うちとは関係ないですよ」。あらら、そうなんだ。でもなんで「笛」なのか?「コタンの口笛」なら、児童小説として読んだ記憶があるが。これも尋ねたが、あまりよく分からない返事だった。それよりも身の上話をいろいろとしてくれた。おばちゃんは結構、饒舌だ。
「うちは1975年に開店したからねぇ。子供育てながら夢中で、気づいたら40年経っちゃったね。ワタシが30歳前でオープンしたからねぇ」。
すかさず計算する。ただいまオン歳70前ということか。1975年というと、和田屋やかわ清とほぼ同期、現在では阿佐ヶ谷最古参に当たる。
「子どもは2歳と5歳でね。店に座らせて夫婦で昼夜、働いた。ランチもやってたのよ。それが息子たちは1人が大学に行ってくれてね。いまはサラリーマンと和食職人になったの。親が一生懸命だと子供はグレないね」。
なるほど、このラーメンに賭けて懸命に働いたのか。ご主人は現在は体調が思わしくなく、本日は近所のご自宅で静養しているという。
「うちの人はよーく働いたからね。で、孫がサッカーやってるの」。
あ、そのフラッグなのね。そんな話をしている内に先客が出て行って、戻ってきた。タバコ買ってきたらしい。「コーラ飲む?」とおばちゃんに勧められ、飲み始めた。これまでビールを飲むわけでもなくテレビを眺めていたようだ。ゆるーい時間が流れている。
「昔は田無からも来てたわよ。タクシーの運転手さんたちが何台も並べてね。その頃は深夜に開いてるコンビニがないから、みんな来てた。それでこちらが黙ってたら何時までもいるんで、閉店時間がどんどん遅くなり、それにつれて開店時間も遅くなって、今みたいになっちゃったの」。
ライバルはコンビニということらしい。並びのCiqueは、ラーメン最前線で戦うジャンル(私には、銀座「四季のおでん」のトマトをラーメンに流用するアイデアに見える)。それとはまったく異次元、昭和の空間をフリーズドライしている、ある意味「孤高の店」ではある。
時間ごとの「コタンの笛」三態、ご覧あれ。
(センセイ)
1年とちょっとぶりでしょうか?
センセイからのお誘いです。
「コタンの笛というラーメン屋さんです。遅くから始まるお店なので夜の10時、お店の前でね」
かしこまりました。
コタンの笛…存在は知っています。青梅街道を南阿佐ケ谷から荻窪に向かって右手にあるお店。何度も通りかかったことはありますが、結構遅い時間でも一度も営業していた試しがありません。まさか、入りにくい店を通り越して入れない店なのでは?
一抹の不安をかかえながら、自転車を走らせます。
この辺りだったかなというところで、センセイのお背中発見!
「まだやってないですね。でも、シャッターがほんの少し上がってるからもう少しで始まるんじゃないかな」と廃墟にしかみえない建物を指差しながら仰います。
見れば、シャッターなんかどうでもいいくらいの無人感で、始まる気配など微塵も感じられません。以前はあったはずの店名入りのテントもはずされて無惨にも骨組みだけになっているし、店の中も真っ暗じゃありませんか…。
これでもうすぐ始まるって、ほんとですかセンセイ?
「他の店でビールでも飲んでから再チャレンジしますか」
取り敢えずはい、です。再チャレンジは兎も角、ビールは大賛成ですから。
というわけで、一時間後の再訪です。
するとどうでしょう。廃墟にしか見えなかった建物に煌々と灯りがともり、看板も提灯も出ています。おひとりですがお客さまもいらっしゃいます。
たった1時間で劇的なビフォーアフター!
嘘なのか冗談なのか、 狐に化かされたような摩訶不思議な光景です。
なるほど、この展開を予測していたセンセイ、さすがでございます。リスペクトです。
さて、店内へ。
カウンターだけ、9人程で満席でしょうか。
多分、実際の年齢よりもお若く見えるんだろう女将さんが迎えてくれます。
カウンターの正面には、お孫さんらしき写真や古いぬいぐるみなどが無造作に置かれていて、40年ぐらい前のお茶の間にタイムスリップした感じです。ワクワクします。
センセイも興味津々らしく、女将さんに今年で42年目になるというお店の歴史などインタビューされています。
その辺はセンセイにお任せして、あらためて店内全体を見回すと、これがまた不思議だらけ。さほど広くない店内に、業務用と家庭用とその中間くらいのエアコンが合計三つ。
冷蔵庫も三つ。
「三つが好きなのかな」とセンセイ。
面白いです。
そうかもしれないけど、冷蔵庫は兎も角、エアコンは三つも必要ないだろうし、稼働しているとも思えません。
なんでかな…? 時間の流れにまかせて何も捨てずにいたらこうなっちゃた…ってことでしょうか。
常連らしき先客のおじさんがメニューにはないコーラを女将さんと一緒に飲んでいるあたりも素晴らしい。
今年が2016年だとは全く関係ない時間がゆったりと流れています。
想像以上の楽しい時間が過ごせました。
みなさんにも是非おすすめします。
まず開店前の外観で思いっきり不安になってから11時過ぎに再訪してください。
度肝を抜かれること間違いなしです。
ちなみにラーメンはもやしラーメンをいただきました。店名に由来しているだろうコタン丼や笛ラーメンも気になったのでどんなものか聞いてみたところ、女将さんいわく
「もやしとおんなじ醤油味。それに豚肉の細切りが多目に入ってるだけ」だそうです。
それと、外の店名入りのテントは数年前の台風で持って行かれそうになり、危ないから取っちゃったんだとか。
なるほど。
それでいいのだ。
(40代。ミュージシャン妻・料理人)